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鳥山明の画力が復活した理由と再評価の背景を徹底分析!

鳥山明 画力 復活

鳥山明の画力が「復活した」と注目されている昨今、その背景にはさまざまな変化と積み重ねが存在します。現在の作風は、かつてのアナログ全盛期とは異なり、パソコンによるデジタル作画へと移行していますが、だからといって魅力が失われたわけではありません。むしろ、その凄さや表現力は新たな進化を遂げ、国内外のファンから再評価されているのです。

晩年になってもなお創作を続けた鳥山氏の絵には、肩の力が抜けた自然体の味わいがありました。一時期は「絵を描くのが嫌」と語っていたこともありますが、自身の「好き」を貫くスタイルへと変化したことで、画力の本質がより際立つようになったのです。

デジタル導入によって可能になった質感の描き分け、繊細な色彩表現は、これまでのアナログでは難しかった領域を補完する役割を果たしました。一方で、アシスタントや後継作家が代わりに描く場面も増え、「これ本当に鳥山明?」と違和感を抱く声もあります。

それでも、なぜ絵が上手いのかという問いには、天才的な空間把握能力や、無駄を削ぎ落とす独自の絵の特徴が関係しています。最高傑作と呼ばれる作品群からは、構図・キャラの動き・演出のすべてにおいて圧倒的な説得力が感じられます。

さらに、鳥山明の画力は海外でも高く評価され、フランスでは文化勲章を授与されるなど、その芸術性が国境を越えて認められています。

本記事では、鳥山明の画力がなぜ復活と評されるのか、その理由を現在の作品・技術・姿勢など多角的な視点から深掘りしていきます。

  • 鳥山明の現在の画力がどのように進化したか
  • デジタル作画導入による作風の変化と影響
  • 「鳥山明じゃない」と言われる違和感の理由
  • 復活と評される画力の背景にある創作姿勢や技術

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目次

鳥山明の画力復活が再評価される理由

  • 現在の画力はどれほど進化した?
  • デジタルはいつから導入されたのか
  • 晩年の絵に込められた想いとは
  • 鳥山明じゃないと言われる違和感
  • なぜ絵が上手いのか分析する
  • 空間把握能力は?他作家と比較
  • 絵の特徴は?シンプルで力強い

現在の画力はどれほど進化した?

初期と比べて、鳥山明の画力は技術的にも表現の幅でも大きく進化しています。特にデジタル技術を取り入れてからの変化は顕著で、カラー表現や質感の描写がより繊細になっています。

その背景には、長年のキャリアを通じて培われた観察力や構図力があります。鳥山氏は元々、メカや動物など「描きたいもの」へのこだわりが強く、写実的な部分とデフォルメのバランスを自在に操る作風で知られています。こうした基礎があった上で、デジタル化によって色彩や質感の選択肢が広がり、より洗練された作品へと昇華されていきました。

例えば、近年の映画『ドラゴンボール超 ブロリー』では、キャラクターの動きと背景の一体感が格段に増しており、過去作と比較しても違いは一目瞭然です。画面構成やアングルもよりダイナミックになり、まるで実写映像を思わせる迫力があります。

ただし、全てのファンがこの進化を歓迎しているわけではありません。アナログ時代の“あたたかみ”や“粗さ”が好きだったという声も根強くあります。とくに『Dr.スランプ』や初期の『ドラゴンボール』に親しんだ世代からは、「昔の方が味があった」という意見も見られます。

このように、鳥山明の現在の画力は間違いなく進化していますが、評価は人それぞれです。新旧の良さを見比べることが、より深く彼の絵の魅力を理解するヒントになるでしょう。

デジタルはいつから導入されたのか

デジタル作画を鳥山明が導入し始めたのは、1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』がきっかけとされています。この作品の一部をCGで制作したことで、以降の創作スタイルに大きな影響を与えるようになりました。

もともとアナログでの作業を中心に行っていた鳥山氏ですが、手間のかかるトーン作業や修正作業を効率化したいという思いから、パソコンを使った作画に関心を持ち始めたようです。その後、2000年代に入るとフルデジタルで描かれた作品が増え、短編作品『SAND LAND』や『ネコマジン』シリーズでは本格的にデジタル技術が活用されています。

特にデジタル導入によって、色のグラデーションや質感の調整が容易になり、作品全体の完成度が向上しました。線の美しさも際立つようになり、キャラクターの表情や背景にこれまで以上の深みが加わっています。

ただし、デジタル化によって「味わいが薄れた」と感じる読者も一部にいます。アナログ特有の“線の揺らぎ”や“手描き感”を好む層にとっては、デジタルの滑らかさが逆に物足りなく映ることもあるのです。

このように、鳥山明のデジタル導入は1997年から本格的に始まり、以降の作品に大きな変化をもたらしました。その変化をどう受け止めるかは、読者それぞれの視点による部分が大きいでしょう。

晩年の絵に込められた想いとは

晩年の鳥山明の作品には、「肩の力を抜いた、純粋な創作の楽しさ」が色濃く表れていました。若い頃のように読者の期待に応えようと全力疾走するというよりは、自分の好きなものを描くことを大切にしていた印象があります。

たとえば短編作品『SAND LAND』や絵本『てんしのトッチオ』では、戦車や兵士、可愛らしいキャラクターなど、彼の“好き”がそのまま作品になっているような構成が見て取れます。また、背景美術や乗り物の描き込みに手を抜かず、趣味と実益が融合したような丁寧な作風も特徴的です。

さらに、映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』などの脚本を手がけた際には、かつての自分の作品を読み返しながらストーリーを構築していたと語っており、「作品に誠実であろうとする姿勢」が晩年にも衰えていなかったことがわかります。

ただし、本人はインタビューなどで「最近の絵は手抜き」と笑って語っていたこともあり、完璧主義ではなく、どこかユーモラスで人間味のある創作姿勢を保ち続けていたとも言えるでしょう。

このように、晩年の鳥山明の絵には、プロとしての技術以上に、「描くことを楽しむ心」と「自分らしさを貫く意志」が込められていたのではないでしょうか。多くのファンがその温かさやこだわりに心を動かされたのも、こうした姿勢のあらわれだったのかもしれません。

鳥山明じゃないと言われる違和感

「これ、本当に鳥山明が描いたの?」――晩年の作品や関連グッズのイラストを見た一部のファンの間で、そんな声が上がることがあります。こうした違和感は、主に作画スタイルの変化や制作体制の違いに起因しています。

まず大きな要因の一つが、作風の変化です。若い頃の鳥山明は、細かな線や手描きの“揺れ”を活かした独特な温かみのある絵柄が特徴でした。しかしデジタル化の影響や、年齢によるスタイルの簡略化もあり、晩年には線がすっきりと整理され、キャラクターの表情や体の動きにも違いが見られるようになりました。

もう一つ注目すべきは、「鳥山明風」の継承者たちの存在です。ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズや『ドラゴンボール超』などでは、鳥山氏本人がデザイン監修に関わりながらも、実際の作画は中鶴勝祥やとよたろうなどのアシスタントや後継作家が担当しています。そのため、見た目は非常に近いものの、細かな線の強弱やキャラの表情に“らしさ”が足りないと感じるファンも少なくありません。

例えば、とよたろうが描く『ドラゴンボール超』は高い再現度を誇る一方で、「あの独特の勢いやユーモアがない」といった声も上がっています。鳥山作品に慣れ親しんだ読者にとって、絵のトーンや構図の“空気感”までもが大切な要素であり、それがわずかにズレると“違和感”として感じ取られてしまうのです。

このように、「鳥山明じゃない」と言われる違和感は、画風の変化と後継者による作画とのギャップから生まれています。見た目が似ていても、作品に宿る空気や“遊び心”までは完全に再現することは難しいという現実が、ファンの心に微妙なズレを生んでいるのかもしれません。

なぜ絵が上手いのか分析する

鳥山明の絵が「上手い」と評価されるのには、複数の具体的な理由があります。単に線がきれい、キャラが可愛いといった話にとどまらず、構図力・デッサン力・視覚的リズム感覚といった総合的な画力の高さが際立っているからです。

まず注目すべきは、立体感と空間把握能力の異常なまでの高さです。鳥山氏は資料を見ずに、頭の中だけで複雑な構造物やメカを立体的に描くことができ、見る者に「そこに本当に存在しているかのようなリアルさ」を与えます。これは幼少期から映画や模型に親しみ、視覚的な観察力を磨いてきた結果と言えるでしょう。

次に、デフォルメの巧みさも大きな強みです。リアルとマンガ的表現の中間を絶妙に突くバランス感覚は、見る人の心を自然と惹きつけます。とくにキャラクターのポーズや動きの表現には“重さ”や“勢い”があり、静止画であっても動きを感じさせるような描写が可能でした。

さらに特筆すべきなのが、画面構成の巧さです。とよたろう氏も語っているように、格闘シーンや会話シーンでのコマ割りやアングルは、限られたスペースの中で最大限のインパクトを生み出しています。たとえば通常の漫画家が10コマかけて描く戦闘シーンを、鳥山氏は5コマでダイナミックに見せることができるのです。

一方で、鳥山氏自身は「女の子が苦手」「トーン貼るのが嫌い」と語っており、全てを完璧にこなすわけではありません。しかしその“不得意”を逆手に取って工夫し、背景を更地にしたり、髪を金髪にしてベタを省いたりと、合理的かつユニークな解決策を打ち出しているところもまた、画力の一部といえるでしょう。

このように、鳥山明の絵が上手いとされるのは、単なる技術力だけではなく、観察・工夫・表現の柔軟さを併せ持つ、総合的な画力の高さがあるからです。だからこそ、長年にわたり世界中の読者から支持され続けてきたのです。

空間把握能力は?他作家と比較

漫画家の中でも、鳥山明の空間把握能力は突出していると評価されています。特に、立体的な構図を自然に描ける点が、多くの読者や同業者から驚かれるポイントです。

まず、鳥山氏は背景やメカを描く際、一切の資料を見ずに頭の中だけで設計していることが多いと語っています。これにより、どの角度から見ても破綻しない、非常に説得力のある空間表現が可能になります。キャラクターが動き回るシーンでも、背景とキャラの位置関係が明確で、読者に“今どこで何が起きているか”を一瞬で伝えることができます。

一方で、他の有名漫画家と比較すると、その差がよりはっきりします。たとえば『スラムダンク』の井上雄彦や『ワンピース』の尾田栄一郎も構図力に優れていますが、彼らは写実性や感情表現に重きを置く傾向があり、メカや建築物のような人工物の描写では、鳥山氏ほどの自由度や一貫性は見られません。

また、アクション漫画の多くでは、スピード感を重視するあまり背景が簡略化されることがあります。ところが鳥山氏の作品では、背景を活かしながらスピード感を損なわない構成がとられており、これは空間の把握だけでなく、全体を俯瞰する視点がなければ成し得ない技術です。

さらに驚くべきことに、戦車や乗り物を漫画の中でリアルに登場させる際、実際にプラモデルを作るほどのこだわりを持って構造を理解していたというエピソードもあります。こうした実体験からくる空間感覚が、作品にリアリティを与えていたのです。

このように考えると、鳥山明の空間把握能力は、感覚ではなく“意図的にコントロールされた技術”として発揮されており、漫画の読みやすさや臨場感に大きく貢献していることがわかります。特に3次元的な空間でのキャラ配置や視点の切り替えが自然に感じられるのは、彼独自の強みと言えるでしょう。

絵の特徴は?シンプルで力強い

鳥山明の絵の最大の特徴は、「線が少ないのに、印象が強く残る」という点です。シンプルでありながらも、見る人の心にしっかりと刺さる。その理由は、線の取捨選択が非常に的確で、必要な情報だけを無駄なく伝えているからです。

たとえば、代表的なキャラクターである『ドラゴンボール』の孫悟空や『ドラゴンクエスト』のスライムなどを思い浮かべてください。どちらも非常にシンプルな造形ですが、その“形”だけで一発でわかるほど強い個性を持っています。これは、「情報量を増やすのではなく、削ることで印象を強くする」というデザイン思考が徹底されている証拠です。

また、鳥山氏の描くキャラクターには「無駄な動きがない」のも特徴です。ポーズや構図の一つ一つが合理的で、力の向き・体の軸・重心といった物理的なリアリティがしっかり描かれています。そのため、バトルシーンでは“静止画なのに動いて見える”ような感覚を受ける読者も多くいます。

さらに、配色や陰影においても派手さはありませんが、視認性を重視した色の使い方が徹底されています。これはゲームのキャラクターデザインなどでも重宝される要素で、画面の中でも瞬時にキャラが見分けられる工夫がなされています。

ただし、細部への描き込みを求める人にとっては、やや物足りなさを感じることもあるでしょう。リアル志向や重厚なタッチを好む層には、シンプルな絵柄が“あっさりしすぎ”と映る場合もあります。

このように、鳥山明の絵は「簡単そうに見えて、非常に計算された構造」を持っているのが特徴です。だからこそ、多くのフォロワーがいても、“鳥山明そのもの”を完全に再現できる人はほとんどいないのです。

鳥山明の画力は本当に復活したのか

  • 天才と称される理由とは
  • 凄さを証明するエピソード
  • 海外での評価はどうか
  • 画力は何がすごいのですか?の答え
  • 最高傑作の絵は?とよたろうも絶賛
  • パソコン作画とアナログの違い
  • 絵を描くのが嫌だった鳥山の転機

天才と称される理由とは

鳥山明が「天才」と称される理由は、単に絵が上手いというだけではありません。限られた時間と手間の中で、“最高の魅力”を引き出す力を持っていたからです。しかも、その技術やセンスは本人が独学で身につけたものが多く、まさに“天性の才能”と評価されるゆえんです。

一つの例としてよく挙げられるのが、「ネームなしで下書きから描き始める」という独自の制作スタイルです。通常、漫画家は物語の設計図であるネーム(コマ割りのラフ)を用意しますが、鳥山氏はそれすら飛ばし、最初から本番の絵を描きながら構成していくという方法を取っていました。それでも作品として破綻せず、むしろ読みやすいという点が驚異的です。

さらに、キャラクターの造形やメカの設計も直感的に描けることが、プロのデザイナーたちの間でも語り草になっています。たとえば乗り物や武器などの描写は、実際に工学設計されているかのようにリアルで、それでいてデフォルメの魅力も失わない絶妙なバランスがあります。

もうひとつ見逃せないのが、“引き算の美学”による情報整理力です。鳥山氏は「面倒くさがり」であることを公言していましたが、その中でどうすれば効率よく、かつ魅力的に見せられるかを考え抜いていたことが作品に表れています。金髪のスーパーサイヤ人のデザインや、バトルで背景を吹き飛ばすアイデアは、まさに「必要最小限で最大の効果」を狙ったものです。

こうして見ていくと、彼が天才と呼ばれるのは、才能だけでなく「合理性」「構成力」「独自性」を兼ね備えていたからに他なりません。普通の努力では到底到達できないレベルで、“考えなくてもできてしまう”ような感覚すら感じさせる点が、まさに天才と称される理由といえるでしょう。

凄さを証明するエピソード

鳥山明の画力の“凄さ”を象徴するエピソードは数多く存在しますが、その中でも特に有名なのが「セルのデザイン」にまつわる話です。これは『ドラゴンボール』の中でも人気の高い“人造人間編”で起きた出来事です。

当初、鳥山氏は人造人間19号・20号を敵として設定していましたが、担当編集の鳥嶋和彦氏から「ボスキャラとして地味すぎる」とダメ出しを受けます。そこで登場させたのが17号と18号でした。しかし、これでも納得されず、最終的に生まれたのが“セル”です。

驚くべきは、セルの「完全体」が登場した理由です。鳥山氏が最初に描いたセル第一形態・第二形態に対して、当時の編集者から「気持ち悪い」「格好悪い」とストレートにダメ出しされてしまい、即興的に完全体を再デザインしたという経緯があります。それが今やシリーズ屈指の人気キャラとなっているのです。

さらに、こうした変更を短期間で対応しながら、高クオリティかつ破綻のないデザインで仕上げる柔軟性も特筆すべき点です。しかもセルのデザインは複雑で、特に背中や顔の模様、羽などは描くのが非常に面倒だったと鳥山氏自身が語っています。それでも一切手を抜かず、読者に強烈な印象を残すビジュアルを完成させたのです。

このエピソードからわかるのは、鳥山明の画力が「描写技術の高さ」だけでなく、「瞬時に修正できる構成力」「読者目線でキャラを仕上げる柔軟性」も含めた、総合的なセンスの集合体であるということです。

まさに、“修正すら伝説になる”レベルの対応力が、鳥山明の画力の凄さを物語っているといえるでしょう。

海外での評価はどうか

日本国内にとどまらず、鳥山明の画力は世界中で高く評価されています。特にヨーロッパや南米を中心に、彼の作品は“アート”としても扱われるほどの影響力を持っています。

その証拠に、フランス政府からは「芸術文化勲章シュヴァリエ」が授与されています。これは文化面で多大な貢献を果たした人物に贈られる名誉ある勲章で、彼の作品がフランスの文化関係者にも“芸術として認められた”ことを意味します。単なる娯楽やポップカルチャーとしてではなく、芸術作品としての価値が評価されているのです。

また、鳥山氏の代表作『ドラゴンボール』は、アメリカ・ヨーロッパ・アジア・南米など各国で翻訳・放送され、非常に高い人気を誇っています。特にアニメの戦闘シーンやキャラクターデザインは、多くの海外クリエイターに影響を与えており、「鳥山スタイル」を模倣した作品も数多く生まれています。マーベルやDCなどアメコミ業界でも、彼の作品にインスパイアされたアーティストは少なくありません。

さらに、2024年の訃報を受け、ペルーでは国立スタジアムの壁一面に鳥山キャラを描いた巨大な壁画(全長110m)が制作されました。これは、もともとペルー独立の英雄たちが描かれていた場所に描かれたもので、いかに鳥山明が“国の象徴的存在”として敬意を払われているかがわかります。

ただし、日本人のように細かな表現やストーリー構成を重視する層とは少し違い、海外の読者はキャラクターのデザイン力やアクションの視覚的迫力に特に強く惹かれている傾向があります。つまり、鳥山氏の「画力」が国境を越えて通用する理由は、言葉がなくても伝わる“絵の力”にあるのです。

このように、鳥山明の画力は世界中で“文化”や“芸術”として認められており、彼の描いた一枚の絵が国や世代を超えて人々の心を動かす力を持っていると言えるでしょう。

画力は何がすごいのですか?の答え

単なる“上手さ”ではなく、鳥山明の画力が「すごい」と言われる理由は、見た人の心を一瞬でつかむ力があることにあります。それは技術的な巧さに加えて、伝える力・魅せる力・惹きつける力がすべて高いレベルで融合しているからです。

まず、構図やポーズの取り方が非常に優れています。キャラクターの動き一つをとっても、どの瞬間を切り取れば一番“カッコよく”見えるかを知っているため、コマごとの迫力がまったく違います。戦闘シーンでは静止画にも関わらず、スピード感や力の流れを感じさせる表現が可能なのは、その構成力の賜物です。

さらに、キャラクターの個性が絵だけで伝わる点も大きな強みです。たとえばセリフを読まなくても「このキャラはお調子者」「このキャラは冷静」といった性格が視覚的に伝わってきます。これは表情の描き分けや立ち姿のデザインが的確である証拠です。

加えて、複雑なメカや動物をリアルに、かつデフォルメして描ける力も驚異的です。バイクや戦車といったメカの構造を理解したうえで、漫画としての見せ場に落とし込む柔軟性は、漫画家というよりデザイナーの域とも言えるほど。

ただ緻密な絵を描くだけなら、技術を磨けばある程度は可能です。しかし鳥山明の絵は、「誰もが真似したくなる」けれど「誰にも真似できない」という、言語を超えた魅力を持っています。

言ってしまえば、“見た瞬間にワクワクする”。その感覚こそが、鳥山明の画力の本質であり、すごさのすべてです。

最高傑作の絵は?とよたろうも絶賛

「鳥山明の最高傑作の絵は何か?」という問いに対して、多くのファンや関係者が挙げるのが、『ドラゴンボール』セル編〜魔人ブウ編にかけての作画です。中でも、完全体セルとのバトルシーンや悟飯の覚醒シーンなどは、ストーリーと画力が完璧に融合した瞬間として語り継がれています。

実際、『ドラゴンボール超』の作画を担当しているとよたろう氏も、「あの頃の鳥山先生は神がかっていた」とコメントしており、特に構図・アングル・キャラの動きの一体感には衝撃を受けたと述べています。とよたろう氏は、「自分が10コマかけて描こうとする動きを、鳥山先生は5コマで完璧に伝えてしまう」と驚きと敬意を込めて語っています。

その中でも特に評価が高いのが、悟空とフリーザが空中でぶつかり合うシーンや、悟飯が怒りで覚醒する瞬間です。背景がシンプルに処理され、集中線や風圧の表現だけで空間の広がりとスピード感を描き出しており、読者がページをめくるたびに“ゾクッ”とするような緊張感が生まれています。

さらに、キャラクターの顔の描き込みも圧巻です。怒りや迷い、葛藤といった感情が、繊細な線やわずかな表情の変化でリアルに伝わってきます。これにより、単なるバトルシーンが“ドラマ”としても成立しているのです。

ただし、この時期の鳥山氏は「作画にはあまり力を入れていなかった」と語っており、それが逆に「無駄がなく洗練された美しさ」につながったとも考えられます。つまり、“最高傑作”とは、全力ではなく自然体で描かれた絵にこそ宿っていたのかもしれません。

こうして見ると、鳥山明の最高傑作とは、一枚の絵だけでなく、ページ全体・流れ・空気感を含めた“演出としての絵”であることがわかります。そしてそれを、後進のプロたちが揃って絶賛していることが、その凄さを何より証明しているのです。

パソコン作画とアナログの違い

初期の鳥山明の作品は、完全なアナログ作画で描かれていましたが、1997年頃からパソコン(デジタル)を使った作画に移行し始めました。この変化によって、絵の印象や制作スタイルには明確な違いが生まれています

まずアナログ時代の鳥山作品には、線の“揺れ”や“味わい”が残っており、手描きならではの温かみがありました。『Dr.スランプ』や初期の『ドラゴンボール』では、ペンの強弱やトーンの貼り方など、物理的な作業が絵に深みを与えていたのです。とくに戦闘シーンのスピード感やキャラの感情表現には、アナログの“荒さ”が良い方向に働いていました。

一方、パソコン作画に移ってからは、線がよりクリーンで均一になり、仕上がりが洗練された印象に変化しました。特にカラーイラストでは、グラデーションや陰影表現が滑らかになり、立体感や発色が大きく向上しています。『SAND LAND』や『ネコマジン』シリーズの絵を見れば、その違いは一目瞭然です。

また、デジタルは修正や複製がしやすく、時短にもつながるため、効率面では圧倒的に優れているというメリットもあります。鳥山氏のように“面倒くさがり”なクリエイターにとっては、デジタル環境はまさに理想的なツールでした。

ただし、すべてがプラスとは限りません。読者の中には「デジタルになってから、どこか“味気なさ”を感じる」と言う声もありました。特に、昔ながらの手作業に魅力を感じるファンにとっては、アナログ特有の粗さや質感が失われたことに寂しさを感じたようです。

こうして比較すると、アナログとデジタルの違いは、単なる“作業方法の違い”ではなく、作品に宿る空気感や感触そのものを変えるものだとわかります。鳥山明はその両方を経験し、それぞれの良さを作品の中に落とし込んできた、数少ない漫画家の一人です。

絵を描くのが嫌だった鳥山の転機

意外に思われるかもしれませんが、鳥山明は若い頃、「絵を描くのが嫌になることがよくあった」と語っています。特に、漫画家デビュー後しばらくはスランプや挫折を繰り返し、描くこと自体が苦痛になっていた時期もあったのです。

転機となったのは、デビュー直後に何本も読み切りを描く中で、ことごとくアンケート結果が振るわず、約1年にわたって500枚以上のネームがボツになり続けた時期のこと。そんな状況の中で、当時の担当編集・鳥嶋和彦氏から「女の子を主人公に描いてみたら?」と提案されます。

その提案を受けて描いたのが、後に『Dr.スランプ』の元になる読み切り『ギャル刑事トマト』でした。これが読者から予想外の好反応を得たことで、「自分が楽しく描ける絵こそが読者にも響く」という感覚を鳥山自身が初めて実感することになります。

この成功体験が、「嫌々描くのではなく、自分がワクワクしながら描くことの大切さ」を彼に気づかせた大きな転機でした。それ以降、作品の中には自身の趣味を反映させたメカや動物、ギャグ要素などが積極的に取り入れられ、結果として読者との距離も一気に縮まりました。

ただし、連載が進むにつれて締め切りや人気のプレッシャーが重くのしかかることもあり、再び「描きたくない」と思う瞬間もあったそうです。それでも鳥山は、「どうせ描くなら楽しもう」と割り切り、背景を吹き飛ばして更地にする、髪を金髪にして塗りを省くといった“ラクして楽しむ工夫”で乗り越えていきました。

このように、鳥山明の“嫌い”を“楽しい”に変えたきっかけは、「誰かのためではなく、自分自身がワクワクする絵を描く」ことに気づいた瞬間でした。それが彼の代表作を生み、世界中のファンに愛される原動力となったのです。

鳥山明の画力復活を多角的に読み解く

  • 現在の画力はデジタル技術により繊細かつ洗練された表現に進化
  • 1997年の『TOKIMECHA』からデジタル作画を本格導入
  • 晩年の作品には「描く楽しさ」と「自分らしさ」が色濃く反映
  • デジタル移行でスタイルが変化し「鳥山明じゃない」との声も生まれた
  • 構図力やデフォルメ力が高く、視覚的な説得力が非常に強い
  • 空間把握能力に優れ、キャラと背景の整合性が破綻しない
  • 絵はシンプルながら情報整理力に優れ、印象が強く残る
  • 天才と評されるのは、構成力と独自性を併せ持つから
  • 編集の要求にも即応できる柔軟性とスピード感がある
  • 海外では芸術として評価され、勲章を受けるほどの地位を獲得
  • キャラデザインだけで性格や魅力を伝える力がある
  • 画力の高さは“惹きつける力”において際立っている
  • フリーザ戦や悟飯の覚醒などは最高傑作とされる絵の代表例
  • アナログには味があり、デジタルには洗練という良さがある
  • 描くのが嫌だった時期もあったが、自分の“好き”を描くことで転機を迎えた

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